Reggae時々Technoとカプチーノ

自分のルーツを探るべく、25年前にタイムスリップ。さて未来はどう変わるのか?

中学生時代なつかし話

人が好む音楽やファッションなどは、自身を取り巻く人や環境など、出会いによって大きく変わってきます。

私は、生まれは埼玉県K市(今は合併により名は変わりました)。

小学校までは地元で主に過ごしましたが、

中高と渋谷から2駅ほどの私立学校に通ってました。

きっと地元の学校に通っていたら、テクノバンドなんてやってなかったでしょうし、ReggaeのSoundをやったりもなかったでしょう。

 

当時、中学生にして山手線の通勤・通学ラッシュに揉まれ通い続けた6年間、

ここで私の人間性・思考が形成されたと言っても過言ではありません。

(偉そうに言って大したもんでは無いですが。。。笑)

 

中学生時代は音楽とギターとバスケにハマりました。

音楽は最初の頃はレコードという概念は無く、タワレコ、HMV、レコファンなど幅広いジャンルを取り扱うお店に入り浸ることが多かったかなあ。

当時フリッパーズギターコーネリアスピチカートファイブに代表される渋谷系

暴力温泉芸者中原昌也を筆頭としたデス渋谷系などなど斬新な音楽が発信され、

より渋谷がミュージシャンにとっての聖地となっていたのは間違いはないでしょう。

音楽も渋谷とか中央線とか地域性みたいなボーダーもありましたもんね 笑

(後にタワレコ付近のマックでバイトをし、この時であった知り合いの影響で、テクノバンドを結成しました)

 

バスケは当時NBAがすごく流行っていて、ワールドスポーツでAirJordanをいつも眺めていました。(ファイヤー通りに店を構える前のSLAPSHOT近くの2階の小さいお店でしたね)

週末は練馬区光が丘公園でストリートバスケが盛んでした。

週末ここに行けば誰かしらが3 on 3をしており、多くの人たちが競いあってました。

当時は今みたいにネットも盛んではなかったから、バスケットボールマガジン?を読んだり、ワールドスポーツでジョーダンやマジックジョンソン、ラリーバードのビデオを購入し、プレーを真似したりと勉強してました。

 

勿論服屋も沢山あり、当時あまり詳しくない頃は、とにかくBEAMSの斜めかけの

ショッピングバッグを持ってたら「オオオッ!!」て感じでした。笑

この当時はアメカジや輸入物のスケーター系ブランドが流行っていたかなあ?

 

身近に流行の聖地が沢山有り、放課後毎日のように渋谷と原宿を歩いて往復してました。

そして暗くなってお腹が空いた頃に、渋谷駅前の出店の大阪焼を食べて帰る!!

これが日々のサイクルでした。

 

ほんとこの当時はセレクトショップや有名店も渋谷、原宿、代官山とか行かないと無かったですし、毎日のように入り浸ってましたが、

大学生位の頃には急速に全国的に個人経営のセレクトショップが増えたり、

ルミネの大宮進出により渋谷に行かずとも地元で済んでしまったり。

ZOZOなどが普及してからは行かずしてですもんね。(私も昔は結構お世話になりましたが)

服もレコードとかもそうですがお金を握りしめて、何があるかなあ?なんて

胸に期待を膨らまし、電車に1時間乗って買いに行く。

レコードに関しては新幹線でわざわざ行ったりもありましたし。

これが買い物の醍醐味でしたよ。


私は4年前位から島根に移住し、ここ8年位は渋谷や原宿をまともに散策したりはしてないなあ。


TVとかの映像を見ると大分変わりましたよね?

 

今度実家に帰った時はゆっくりと渋谷・原宿なんかを歩いて満喫したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

QUEEN!!

「AIDS」

これは私の人生において切っても切れないWORDである。

曖昧な記憶ではあるが、私が中学生の時にTVのニュースで

頻繁にHIV感染の問題が挙げられていた。

 

さらに、この頃兄影響でQUEENのCDを手に取ったこともありインパクトが強かったのであろう。

確かこの時には、既にフレディマーキュリーの死後であり、兄の本棚にはフレディの自伝があり、死因がエイズによるものだということも理解していた。

 

当時日本では、1991年フレディが亡くなる前、マスコミは1985年松本事件後の一連のエイズに関する事件をエイズパニックと呼び、HIV感染者、エイズ患者に対しての偏見と差別があったそうです。

 

そんな渦中でもあった為、同性愛による性行為が原因で亡くなったことは衝撃的であった。

 

どうしてその時まだ中学生であった私がそこまでエイズインパクトを抱いた理由にはもう一つ大きな理由があります。

わたしはこの当時のマスコミに対して、メディアに対して憎悪感を抱きました。

 

何故か??

 

兄が 精神分裂病 と診断され入院した。

 

マスコミらがエイズに対しての何の根拠もない情報を日々メディアで流し続けたこと。

兄は自身をエイズと思い込み、TVでの差別発言や誹謗中傷は自身に向けて言っていると恐れを感じ、寝ては自分を責め立てる幻聴に魘され、国が自分を探しているなどと言い身を隠し、、、

きっと生きている心地がしなかったであろう。

兄の目には、もう光は失われていた。

 

QUEENのラストアルバム、「Innuendo」

で見せるフレディの姿には、

死を覚悟しながらも、最後までミュージシャンとして、エンターテイナーとして、

そして愛に生きる一人の人間としての力強ささえ感じられる。

 

世界中でエイズに対しての偏見、差別が飛び交う中

フレディは戦いました。

その意思は今でも引き継がれ、世界中でエイズの人々を支援する活動の輪をひろげている。

 

日本よ、もう同じような過ちは繰り返してはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

The Rock!!なんだかんだで今でも好き

初めて意識した、初めてどっぷりと聴き入ったなどと、

そんな音楽との出会いが皆様にもあると思います。

今となっては意識して自発的に聴くことは無くなったとしても、

自身の過去を振り返ったり、TVのBGMなどで流れていたり、

思わぬところで過去に想い入れのあった音楽との再会をした経験は皆さまもあるはずです。

ちなみに私が初めてはまった音楽は「Guns'n Roses」です。

これは兄の影響でもあるのですが、初めて聴いた時は衝撃でした。

Soundは勿論ですが、Voのアクセルローズといったらの定番でもある、ショート丈のスパッツにライダース、バンダナといった当時小学生だった私には奇抜すぎるようなファッションには度肝を抜かれました。

だって、そのころ日本ではチャゲアス、B'z、槇原敬之とかが流行っていて、

当時のJPOPの全てを知っているわけではないが(むしろ殆ど知らない)、

どうしてもJPOPはドラマの挿入歌としての結びつきが強いせいか、TVの規制という

オブラートに包まれていて迫力もなければ、面白みもない商業的路線に走ったサウンドばかりという印象でした。

やはりそれと比べると、何かと問題を起こしたりと我が身を省みないようなスキャンダルが多い「Gun’sn Roses」は当時の何も知らない私からすると、これぞRock!!という象徴に思えたのかもしれません。

そしてこのころには音楽=fashonという結びつきも意識するようになりました。

たださすがにアクセルみたいな格好は小学生ではしませんでしたよ 汗