中学生時代なつかし話
人が好む音楽やファッションなどは、自身を取り巻く人や環境など、出会いによって大きく変わってきます。
私は、生まれは埼玉県K市(今は合併により名は変わりました)。
小学校までは地元で主に過ごしましたが、
中高と渋谷から2駅ほどの私立学校に通ってました。
きっと地元の学校に通っていたら、テクノバンドなんてやってなかったでしょうし、ReggaeのSoundをやったりもなかったでしょう。
当時、中学生にして山手線の通勤・通学ラッシュに揉まれ通い続けた6年間、
ここで私の人間性・思考が形成されたと言っても過言ではありません。
(偉そうに言って大したもんでは無いですが。。。笑)
中学生時代は音楽とギターとバスケにハマりました。
音楽は最初の頃はレコードという概念は無く、タワレコ、HMV、レコファンなど幅広いジャンルを取り扱うお店に入り浸ることが多かったかなあ。
当時フリッパーズギターやコーネリアス、ピチカートファイブに代表される渋谷系、
暴力温泉芸者、中原昌也を筆頭としたデス渋谷系などなど斬新な音楽が発信され、
より渋谷がミュージシャンにとっての聖地となっていたのは間違いはないでしょう。
音楽も渋谷とか中央線とか地域性みたいなボーダーもありましたもんね 笑
(後にタワレコ付近のマックでバイトをし、この時であった知り合いの影響で、テクノバンドを結成しました)
バスケは当時NBAがすごく流行っていて、ワールドスポーツでAirJordanをいつも眺めていました。(ファイヤー通りに店を構える前のSLAPSHOT近くの2階の小さいお店でしたね)
週末は練馬区光が丘公園でストリートバスケが盛んでした。
週末ここに行けば誰かしらが3 on 3をしており、多くの人たちが競いあってました。
当時は今みたいにネットも盛んではなかったから、バスケットボールマガジン?を読んだり、ワールドスポーツでジョーダンやマジックジョンソン、ラリーバードのビデオを購入し、プレーを真似したりと勉強してました。
勿論服屋も沢山あり、当時あまり詳しくない頃は、とにかくBEAMSの斜めかけの
ショッピングバッグを持ってたら「オオオッ!!」て感じでした。笑
この当時はアメカジや輸入物のスケーター系ブランドが流行っていたかなあ?
身近に流行の聖地が沢山有り、放課後毎日のように渋谷と原宿を歩いて往復してました。
そして暗くなってお腹が空いた頃に、渋谷駅前の出店の大阪焼を食べて帰る!!
これが日々のサイクルでした。
ほんとこの当時はセレクトショップや有名店も渋谷、原宿、代官山とか行かないと無かったですし、毎日のように入り浸ってましたが、
大学生位の頃には急速に全国的に個人経営のセレクトショップが増えたり、
ルミネの大宮進出により渋谷に行かずとも地元で済んでしまったり。
ZOZOなどが普及してからは行かずしてですもんね。(私も昔は結構お世話になりましたが)
服もレコードとかもそうですがお金を握りしめて、何があるかなあ?なんて
胸に期待を膨らまし、電車に1時間乗って買いに行く。
レコードに関しては新幹線でわざわざ行ったりもありましたし。
これが買い物の醍醐味でしたよ。
私は4年前位から島根に移住し、ここ8年位は渋谷や原宿をまともに散策したりはしてないなあ。
TVとかの映像を見ると大分変わりましたよね?
今度実家に帰った時はゆっくりと渋谷・原宿なんかを歩いて満喫したいと思います。